David Gottlieb氏の設立したGOTTLIEBが1931年に製造したのが「Baffle Ball」である。このマシンの大ヒットが、今日のピンボール産業の基礎を確立した。これは世界で最初に商業的に成功したピンボールであることは間違いなく、この点からもこのマシンを世界初のピンボールとする意見が一般的である。そして、この時のGOTTLIEBのディストリビューターに、BALLYの創設者のRaymond Molony氏やWILLIAMSの創設者のHarry Williams氏がいた。
その後、バックグラスの導入やエレクトロニクス化によりピンボールは発展したが、BALLYによるペイ・アウト・マシンの発明と普及によって、次第にピンボールはギャンブルマシンと見なされていく。しかし、GOTTLIEBはペイ・アウト・マシンを生産しなかったことで、ピンボール業界を救うことになる。David Gottlieb氏は、ある意味では非常に保守的な経営者で、この様なギャンブル化の方向を好まなかった。そういった部分は、マシンのデザインにも現れており、これをGOTTLIEBらしさとも言うことができる。
そして、現在のピンボールの基礎となったのが、1947年のフリッパーを備えた世界最初のピンボール「Humpty Dumpty」である。これにより、ピンボールはペイ・アウト・マシンやビンゴとは一線を画した。また、1960年「Flipper」に導入されたアド・ア・ボールは、ギャンブルマシンとの違いを明確にする発明だった。
1960年代から70年代までの、ソリッド・ステート化される前のGOTTLIEBには傑作が多い。今でも、この時代のGOTTLIEBのドラム式を、他のBALLYやWILLIMASよりも好むオペレーターは多く存在している。しかし残念なことに、GOTTLIEBは時代の進歩から取り残されていった。
1970年代後半から80年代初めにかけてのBALLYの隆盛や、1980年中頃からのWILLIAMSの繁栄に、完全に後れを取ってしまった。GOTTLIEBらしい頑固さが、災いしたのかもしれない。
1983年にはMYLSTARに社名を変更し、ビデオゲームにも力を入れる方針を打ち出した。だが、1984年9月に工場閉鎖に追い込まれた。しかし、地元の投資家を募って1984年にPREMIERとして操業を再開し、ブランドとしてGOTTLIEBを継承していくことになった。
この様な中でも、「Countdown」(1979年),「Black Hole」(1981年),「Ready! Aim! Fire!」(1983年),「Genesis」(1986年),「Cactus Jack's」(1991年)などの他のメーカーにはない秀作を発表している。
しかし、GOTTLIEBのピンボールは、WILLIAMS/BALLYやDATA EAST/SEGAに比べて地味な傾向は否定しがたく、業績が回復することは難しかった。結局、世界的なピンボール市場の低迷を受けて1996年7月に業務を停止した。ここに、世界最初のピンボールメーカーであり最古のブランドであるGOTTLIEBの歴史は66年の幕を閉じた。
年度 | 内容 |
---|---|
1930年 | David Gottlieb氏によってシカゴに設立。 |
1931年 | 「Baffle Ball」を発表。 |
1947年 | フリッパーを備えた世界最初のピンボール「Humpty Dumpty」を発表。 |
1960年 | アド・ア・ボール・システムを備えた「Flipper」を発表。 |
1976年 | コロンビア映画に買収。 |
1978年 | ソリッド・ステート・マシン「Cleopatra」を発表。 |
1981年 | 開閉式のスロープとランプレーンを持った「Mars」を発表。 |
1981年 | バイ・レベル構造を持った「Black Hole」を発表。 |
1982年 | トリプル・レベル構造を持った「Haunted House」を発表。 |
1982年 | ビデオゲームが組み込まれた「Caveman」を発表。 |
1983年 | MYLSTARに社名を変更。 |
1984年 | いったん工場を閉鎖したが、PREMIERとして操業を再開。 |
1985年 | 「Chicago Cubs Triple Play」で、初のアルファベット表示が可能なディスプレイを採用。 |
1985年 | 初のハイスコア名が登録できる「Tag Team」を発表。 |
1990年 | ランプレーンなどの複雑な構造を持たない、Street Level(SLシリーズ)を発表。「Silver Slugger」から「Hoops」まで。 |
1996年 | PREMIER倒産。 |